2021年6月19日18:30、映像が放映された。
帰ってから何回か動画を見たり、議論に参加させてもらったりして考えたことをまとめていくと、 僕の理解の中では、やはり黛灰という存在は実在すると言う結論に至った。 じゃあアルタビジョンに映った黛灰の言う「なんでそっちが現実で、こっちがバーチャルなの」という問いにどう落とし前をつけるか、についても書いていく。
「黛灰の物語」は虚構であると認めます
これは、本人のYoutubeチャンネルのプレイリストを見てもはっきりしている。
何より、Youtube・Twitter・そしてアルタビジョンといった数々のツールを組み合わせて組み上げられ、リスナーを巻き込んだ参加型演劇であることは、否定のしようもありません。 流石にこれをリアルと認めるのは難しい。
ですので、僕の理解の中でも「黛灰の物語」は虚構であり、 そこで自らを架空の存在であると認識した黛灰については、架空の存在であると認めます。
VTuber黛灰を、ガワと中の人に分けて考えてみる
3Dお披露目配信の中でもあった、このフレーズ。 「黛灰の物語」を虚構と認めた時、この構造について改めて考えてみます。
まず「ガワ」について。
これが一般的なVtuberの捉え方での、ガワと中の人。 黛灰の物語にのっとり、VTuber黛灰の中に居るのは、 「黛灰の物語」の主人公に交代します。
しかし黛灰の物語を虚構と認めた時、中の人を演じる中の人が必要になります。 本来中の人だったはずの『黛灰』が、それを担います。
黛灰の実在性と「黛灰の物語」は分けて考える
僕たちは黛灰について考える時、無意識に「黛灰の物語」を前提に考えてしまっていないだろうか。 僕はよく混同する。 「黛灰の物語」はあくまで、黛灰の配信やTwitter上で僕たちリスナーに示された、黛灰というVTuberに関する情報の断片。
一方 黛灰 は、黛灰という肉体に宿る意識の連続性。 VTuber黛灰として表に出ない時間を含めた、黛灰として肉体が過ごした時間。
バーチャルとリアルの境界は、実は一人の肉体の中にもある。 イマジナリーフレンドや、ビリー・ミリガンのように二つ以上の人格が一つの肉体に同居することもある。 もしも黛灰の肉体の中に、「黛灰の物語」とは別に、よりコントロール権の強い別人格『黛灰』が存在したら?
VTuber黛灰を見てきた限り、「黛灰の物語」と明らかにかけ離れた人格は、配信には現れたことはない。 とすれば、時折EXボイスやTwitterに現れる、 VTuber黛灰が認識していない情報を表出させているのが、『黛灰』なのではないだろうか。
肉体を外側、精神・人格を内側だとして、 内側である人格の中に、『黛灰』と、 そこから派生または内包される「黛灰の物語」があったとしたら。
これを考えた時、僕は「目」みたいだなと思いました。

VTuber黛灰のヴィジュアルはコンタクトレンズとして描いてあると思ってください 目って周囲を肌に覆われていて、内側 ですよね。 その中で白目が外側に、瞳が内側にいますよね。 黛アルタは、「黛灰の物語」の中に存在する。
目は、白目の部分が大半であるにもかかわらず 瞳の部分、特徴のあるところにフォーカスされがちだと、僕は思います。
『黛灰』をさしおいて、その内側にいる 「黛灰の物語」 が 外側、 つまりVTuber黛灰として、表の人格だと認識されていることにならないか?
君たちが見ているものが、本当に全てだろうか?
「黛灰の物語」 = 『黛灰』のついた嘘
僕はこう考えます。
肉体の黛灰に宿る『黛灰』が、 VTuberという概念を使って 「バーチャルとリアルの境界は実は曖昧である」 「どこからが自分で、どこからが自分じゃないか」 「自分とはなにか」 を問いかけるためについた、嘘。
本当は「黛灰の物語」なんて無い。ただの演劇のシナリオ。 しかし、僕たちが劇場で演劇を見るのと、YoutubeでVTuberを見るのは それがシナリオだと認めているか、いないかという違いがある。 VTuberを見る時、他の人と一緒にゲームしているのを見ている限り、 そこにシナリオがある、演劇だなんて思わない。
しかし『黛灰』は、「黛灰の物語」というシナリオをチラ見せして、 ホラこれは演劇だよと言うことで、リスナーがそれをシナリオだと認めないように誘導している。 なぜなら、リスナーにとって「黛灰の物語」がシナリオだと認めることは、 黛灰の存在を否定することになり、目の前から黛灰が居なくなってしまうのではないかという恐れにつながるからだ。 それを『黛灰』は、わかってやっている。
どうだい?黛灰が自分を架空の存在だと認識したよ。 それでもお前らは黛灰が居るって言うのかい? とでも言いたそうに。
シナリオがある時点で、シナリオを作った『黛灰』は実在する
『黛灰』の嘘の才能が凄すぎて、「黛灰の物語」という幻想の解像度が高まりすぎただけで、 リスナーが「黛灰の物語」について一喜一憂しているのをあざ笑っている、 いたずら好きの芸達者『黛灰』の嘘。
そう捉えることで、“黛灰は架空の存在である"という「黛灰の物語」を覆して、 黛灰の実在性を確認することができるのではないかと、僕は考えました。
「嘘を嘘であると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」 という言葉があるじゃないですか。
「お前らには見抜けなかったか^^」 そう言われる未来がある気がするんです。
長々と、ご精読ありがとうございました。